2011年12月18日日曜日

先進国の援助、中国の進出が「アフリカの今」を形作る

先進国の援助、中国の進出が「アフリカの今」を形作る
内発的でない民主化と工業化なき経済成長をどう克服するか
武内 進一


アフリカと言えば、ルワンダやソマリアなどの内戦に代表される「民族紛争」を思い浮かべる人は少なくないだろう。しかし、21世紀に入って一部の紛争を除いて、多くは収束の方向にある。

 では、今後のアフリカは政治的・経済的な安定が見込めるのか――。アフリカの状況を、植民地支配からの独立で現れた国家と社会的変容という視点からの分析で2009年のサントリー学芸賞に選ばれた『現代アフリカの紛争と国家-ポストコロニアル家産制国家とルワンダ・ジェノサイド』の著者、武内進一・国際協力機構(JICA)研究所上席研究員にアフリカの政治情勢と経済環境の今についてまとめてもらった。

 ワールドカップ、希少鉱物資源、海賊問題・・・。昨今、アフリカに関する記事がしばしば新聞の一面を飾るようになった。岡田克也外相は、5月の連休中の訪問先としてアフリカを選び、普天間問題への影響を懸念する他党からの批判に対して、「アフリカ訪問を非常に軽く言うような発想には強く抗議したい」と反論した。

 アフリカはもはや、暇な政治家が物見遊山で出かけるところではなくなった。そこはむしろ、日本外交にとって、政策上の課題が山積するフロンティアである。

 資源に牽引された高い経済成長など明るい話題の一方で、ソマリア沖の海賊に象徴されるように、アフリカに様々な問題が伏在していることもまた事実である。1日1ドル未満で生活する貧困人口の半減など、国連が定めた「ミレニアム開発目標」の進展が最も遅れているのはアフリカだし、一時に比べて数が減ったとはいえ武力紛争が続く地域もある。そこでは、貧困と紛争の連鎖が明瞭に存在する。

 以下では、今日のアフリカを理解するために、やや時間軸を長く取り、近年の変化とその要因について考えてみたい。それによって、これから先アフリカがどこに向かうのか、我々がどう対応すべきなのかが見えてくるだろう。なお、本稿の議論は、主としてサハラ砂漠以南のいわゆるブラックアフリカ諸国を対象とし、「アフリカ」と述べる際はその地域を念頭に置いている。


冷戦終結が大きな転機になった

 今日のアフリカを考えるうえで、分かりやすい出発点となるのは冷戦終結である。冷戦が終わった後、アフリカ諸国は3つの大きな変化を経験した。

 第1に、民主化である。1980年代までのアフリカでは、大半の国が一党独裁や軍政など権威主義体制下にあった。しかし、冷戦終結とともに、こうした国々が続々と多党制を導入して民主化を遂げた。一党制を公式に掲げる国は、1990年代半ばにはアフリカから消滅している。政治体制の変化が劇的に進展したのである。

 第2の変化は、武力紛争の多発である。ルワンダ、ソマリア、リベリア、シエラレオネ、コンゴ民主共和国など、1990年代のアフリカでは深刻な紛争が多発し、人的、物的に甚大な被害を生んだ。ただし、2000年代に入る頃から多くの紛争が収束に向かい、今日なお深刻な武力紛争が継続しているのはソマリアやスーダンなどに限定されている。

 第3に、経済成長である。アフリカ経済は、1970年代半ばから90年代半ばまで長期的な停滞を経験した。図1に、アフリカ諸国の一人当たりGDP(国内総生産)の平均値を示す。20年にわたる経済の停滞が明らかだが、1990年代半ばからこの傾向が変化し、マクロ経済が成長を開始したことが分かる。この時期以降、赤道ギニアやアンゴラなど石油輸出をテコに高成長を遂げる国々が現れ、2000年代のアフリカ諸国は総じて好景気に沸いた。



こうした変化は、何によってもたらされたのだろうか。冷戦終結後の急激な民主化(一党制から多党制への変化)の原因として、最も重要なのは、先進国の援助政策の変化であった。

 冷戦期においては、東西両陣営とも、新興独立国を自らの陣営に囲い込む目的で援助を利用した。そこでは、被援助国の内政にはあまり関心が払われなかった。極論すれば、いくら汚職がひどくても、人権侵害がなされていても、自分たちの陣営に留まる限り、その政権には報酬として援助が与えられたのである。桁外れの汚職や人権侵害が絶えず指摘されながら、「中部アフリカにおける共産主義への砦」として西側諸国に支援され、30年以上にわたって政権を維持したザイール(現コンゴ民主共和国)のモブツ政権はその典型である。

 しかし、東側陣営が消滅すると、こうした戦略的配慮の必要性がなくなり、西側先進国は援助政策を変化させた。汚職や人権抑圧が蔓延する国家への援助は国内的な説明責任が果たせないとして、援助国は被援助国に対し、統治のあり方を改善するよう求め始めたのである。こうした文脈で、援助に当たって「グッド・ガバナンス(良き統治)」が要求され、「民主化しない国には援助を与えない」方針が打ち出された。

 この援助政策の転換は、長期的な経済停滞に喘ぐアフリカ諸国に甚大な影響をもたらした。長期的な経済危機は民間資金を逃避させ、アフリカ諸国は流入する資金の多くをODA(政府開発援助)など公的資金に依存していた。こうした状況下で、西側先進国は「民主化」を援助の条件としたのだが、「民主化」とは具体的に言えば一党制廃止と多党制導入を意味した。このため、1990年代初頭のアフリカで、一党制から多党制への雪崩現象が起こったのである。

 この動きは、従って、内発的な民主化ではなかった。困窮したアフリカ諸国が資金欲しさに多党制を導入したのであり、だからこそ、それが政治的混乱を助長することも少なくなかった。

 民主化が直接的に紛争をもたらしたわけではない。東西冷戦の中で維持されてきた国家統治のあり方が、冷戦終結に伴う国際環境の変化によって立ちゆかなくなり、国家権力をめぐる争いから武力紛争に陥る例が多発したわけである。1990年代にアフリカで頻発した紛争は、従来の国家統治システムが内側から瓦解する過程であった。


民主化や経済成長は進むが・・・

 一方、近年のアフリカ諸国に経済成長をもたらした要因として重要なのは、資源輸出と新興国需要である。資源として特に重要なのは石油で、1990年代以降、伝統的な石油産出地域であるギニア湾沿岸地域に加えて、アフリカ大陸の内陸部でも新たな油田が開発された。これによって、赤道ギニアやアンゴラなどが原油生産量を急増させたほか、ガーナ、チャド、スーダンなど新たな産油国が誕生した。

 資源開発が進展した背景には、新興国、特に中国の資源需要がある。急速な経済成長を遂げた中国は、自国の旺盛な資源需要に対応するために、発展途上国での資源開発を推進している。アフリカもその対象の一つで、アンゴラやスーダンでの石油開発がよく知られている。中国は自国の資源需要に押し出される形でアフリカに進出しており、資源開発の後発国であるだけに、もっぱら開発コストの高い地域で活動している。

 中国は、アフリカ諸国に安価な工業品を輸出し、石油をはじめとする鉱物資源を輸入するという貿易構造の中で、急激に取引高を拡大した。アフリカ諸国でビジネスに従事する中国人、中国でビジネスを行うアフリカ人の数は、いずれも急増している。東アフリカのハブ空港である、エチオピアの首都アジスアベバやケニアの首都ナイロビは、中国との間で毎日2~3本の直行便が運行し、中国人やアフリカ人のビジネスパーソンが多数行き来している。

 冷戦終結後のアフリカ諸国は、民主化や経済成長の側面で大きな変化を遂げた。その一方で、変わっていないことも多い。

 第1に、多党制導入という意味での民主化は進んでも、ガバナンスの悪さは相変わらずである。ガバナンスにはいくつかの指標があるが、政治的自由度、治安の安定、法の支配、政府機構の能力や効率性、汚職の抑制などが代表的なものである。アフリカ諸国のガバナンス指標は、近年改善傾向にあるものの、いずれの指標についても他の発展途上国と比較して著しく低い。



この点にも関連するが、武力紛争の数が減少したとはいえ、紛争後の平和構築が順調に進んでいるわけではない。政府機構が脆弱であったり、汚職が蔓延していたり、抑圧的な統治であったりと、紛争経験国の復興は、ほとんどの場合、何らかの問題を抱えている。1990年代のアフリカにおける武力紛争頻発の背景として、それ以前の国家統治のあり方が重要な意味を持つことは先述した通りだが、アフリカ諸国の国家統治のあり方は、今日なお深刻な問題を孕んでいる。

 第2に、高い経済成長を遂げたとはいえ、アフリカ諸国の製造業は依然として脆弱である。図2は、アフリカ諸国の部門別GDP寄与率の推移を示す。この間、農業のGDP寄与率は一貫して低下し、2000年代に入って鉱業・製造業(industry)部門の寄与率を下回るようになった。一方、製造業(manufacture)部門単独のGDP寄与率はこの40年間横ばいである。近年の鉱業・製造業部門の拡大は、明らかに鉱業部門の成長によっている。


つまり、近年のアフリカ諸国の高成長は、基本的に鉱物資源をはじめとする一次産品に牽引されたものなのである。南アフリカなど一握りの例外を除けば、依然として製造業は育たず、工業化の課題は依然解決されていない。製造業が発展しなければ雇用は拡大しない。現在のアフリカの経済成長は、従って、貧富の格差を顕著に拡大させている。

 アフリカの経済成長は続くのだろうか。本稿で説明した成長の要因を考えれば、今後も経済成長が続く条件は十二分にある。

 1990年代半ば以降アフリカ経済に成長をもたらしたのは石油などの資源輸出であり、その背景には中国をはじめとする新興国の成長と資源需要の逼迫がある。世界金融危機の影響にも左右されるが、新興国の経済成長は当面続くと見てよいだろう。新興国の成長が持続すれば、アフリカの資源に対する需要も維持され、アフリカの経済成長も続くと考えられる。


政治的安定の確保が課題

 むしろ問題は、経済成長の前提条件となる政治的安定を維持できるかどうかである。政治状況が不安定であれば、当然ながら投資は流入せず、経済成長は達成できない。この点に関しては、不安要素が少なくない。特に問題となるのは、ガバナンスと経済格差である。

 先に述べたように、アフリカ諸国のガバナンスは、依然として多くの問題を孕んでいる。政府の非効率や汚職、政治的自由の抑圧、特定集団の特権化といった現象が、多くの国で報告されている。

 また、産業構造の転換を伴わない経済成長は、都市と農村、正規労働者と非正規労働者や農民との間の格差を顕著に拡大させている。石油生産地帯である南部デルタ地域の住民が反乱軍を組織し、石油企業従業員の誘拐を繰り返すナイジェリアの例を挙げるまでもなく、こうした状況が政治不安につながる危険性は高い。

 こう考えると、今後アフリカが経済発展を遂げ、貧困問題を解決するためには、政治的安定をいかに確保するかが決定的に重要だと言える。そのために、ガバナンスの改善や極端な経済格差の是正(貧困層対策)が中核的な課題となる。これらの課題は、経済成長が続いている時こそ、取り組まれるべきである。

 日本がアフリカとの関係を深めることは望ましいし、また避けられない。その際、アフリカが抱える負の側面をどう管理し、それにどう対処するのかについて、官民を問わず考える必要がある。日本の政府、企業、市民社会は、アフリカのカウンターパートや国際社会とどう連携してこの問題に当たるのか、構想を鍛えるべきである。

 アフリカが抱える諸問題は今やグローバルな課題であり、援助機関や慈善家だけがその対策を考えればよいという時代ではなくなった。ダボス会議でアフリカの貧困が議論され、NGO(非政府組織)が主体となってダルフール(スーダン)の紛争を考えるためのチャリティコンサートが開催されている。今後アフリカに関わる者は誰も、そうした問題にどのような立場からどう貢献するのか、構想を問われることになろう。





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