2011年4月9日土曜日

寝袋支援プロジェクト

尊敬する大好きな、野口健さんのブログより、

http://blog.livedoor.jp/fuji8776/archives/52123140.html

本当に、言葉が見つかりませんが、こうやって、現地に脚を運び、現地の方々を言葉を交わし、笑顔を与えられる、その活動力に、自分自身、感化させていただいてます。




以下は、健さんのブログの一部を転機しています。
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月2日、再び被災地へと向かった。今回の訪問先は岩手県山田町陸前高田
市、気仙沼市。主な支援物資は寝袋が1376個(中国から800個、アメリカから
256個、フランスから50個、そして日本中から270個)。

また前回3月23日に訪れた広田小学校(陸前高田市)の鈴木真紀子先生から
「ランドセルがあれば」との事でしたので、マナスル基金で集めたランドセル200個のうち100個を被災地に届ける事になった。
ヒマラヤ・マナスル峰の麓に学校を作ってきましたが、そのヒマラヤの子ども達に
日本のランドセルを贈ろうと長野県小諸市の子どもたちが200個のランドセルを
集めて寄付してくれていたのだ。この春のヒマラヤ遠征時に持っていく予定であっ
たランドセル。そこから100個を被災地へ。そして広田小学校には60個。残りの
40個は次のタイミングで他の地域に届ける予定。それ以外にもマフラー・文庫本・
漫画本・文房具・女性用下着・発電機・嗜好品など。富士山クラブからは富士山の天然水も。


10トントラック1台、4トントラック1台、ハイエース2台、エスティマ1台に支援物資を積み込み被災地の現場へと向かった。また各車両に予備用のガソリンタンクを積んだ。
何しろ被災地では極度のガソリン不足。その貴重なガソリンを我々が使うわけにはいかない。(東北道に関しては給油可)

4月2日、午前11時東京発。途中、仮眠をとり4月3日午前3時半に紫波SAで芹澤小諸市長、富士山クラブの舟津さん達と合流。支援物資を運ぶトラックは前回同様に小諸市が提供してくださった。小諸市で環境大使を務めている関係から小諸市がバックアップしてくださったのだが、今回は芹澤市長も同行してくださった。
 何しろ、東京からも遠いのに、小諸市となればさらに遠い。それでも芹澤市長は「私も現場に行く」と、市長も現場主義。午前7時、岩手県山田町役場に到着しましたが、町役場の前はまるで戦争などで空襲を受けた跡のようだ。一面が焼け野原状態。2度目の現場入りに再び声を失う。津波が押し寄せた後、石油のコンビナートが破壊され町中に海水が混じった石油が。そして引火。


山田町、沼崎喜一町長は「私も家を失いましたが、弱音を吐くわけにはいかない」と自らが被災者でありながらも陣頭指揮を執っておられた。職員の多くも役場に寝泊まりし表情からは明らかに疲労感が伝わってきた。被災者のケアと同様に市町村の職員、または消防、自衛官などのケアも必要なのだろうと感じていた。彼らが倒れてしまっては元も子もない。特に長期戦となるこの大震災。サポートする側のケアも大切だ。

役場に宿泊している職員も寒くて寝られないとの声もあったので、寝袋600個を避難所用に。そして200個を町役場へ提供。町役場の方々は「私達はいいんですよ」と話されていたけれど、彼らに託されている役割、責任、そしてプレッシャーがどれだけ大きい事か。悲しみや怒りのやり場のない方々の感情が時に職員に向けられる事もあるだろう。せめて寝る時ぐらい少しでも暖かい夜を迎えてほしいと願っていた。


町役場を後にした我々一行が次に向かったのは山田高校。
 前回、陸前高田市に支援物資を届けた際、私のツイッターに山田高校の関係者から「山田にも寝袋を届けてください」とメールが入り、「今回は無理ですが次回は必ず届けます」と約束していただけに山田高校に到着した時には少しだけホッとしていた。
 車から寝袋以外の支援物資も下し、次の目的地である陸前高田市へ向かう準備に入った時に山田高校の先生から「もし可能でしたら避難所の人たちに声をかけてくれませんか」とお願いされた。私は正直、ドキっとしてしまった。なんて声をかけていいものか、分からなかった。
 何しろ、失ったものがあまりにも大きすぎる避難所の方々。家を失い、家族を失い、仕事も何もかも。なんて声をかけていいのだろうか、私には自信がなかった。頭が真っ白になったまま700人以上が生活している山田高校の体育館へ。

 しかし、体育館に入った次の瞬間に被災者の方々から拍手が沸いた。そして目が合うと笑顔も。私がイメージしていた避難所とは大きく違っていた。私の肩からスーと力が抜けていくのが分かった。

 そしてマイクを取りお話させて頂きましたが、私が一番使いたくなかった表現は「頑張ってください」だった。あの極限状態の中で生活していることが既に頑張っているのだ。頑張っている人にどうして「頑張って」と言えるのだろうか。「頑張って」という言葉は時に人を追い詰めることにならないだろうか。気が付いたら「皆さんはもうじゅうぶん頑張っています。あまり我慢しないで」と話していた。

「頑張る」よりも「踏ん張る」。ツイッター上で見つけた言葉ですが、なるほどこちらの表現の方が正しい気がする。




続きは↓から確認してください。
http://blog.livedoor.jp/fuji8776/archives/52123140.html

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